「あなたは、意識に触れようとしているのではなく、結局、身体に触れているだけなのよ。」突然頭の中に声が聞こえ始める。主人公に出来たのは声とその出来事を記憶することだけだった。「しかし、僕の中に残っているものは、記憶でしかない。そして、今でも見続けるあの夢と。」
今さらながら読みました。中川いさみと違って、日本人の心に根付いた慣習を逆手にとったナンセンスさが面白いです。
マンガ版の別エピソード小説。固有名詞と虚構の交じり合いがなんとも刺激的。なにが本当かなんて分からないけど自分で判断しなきゃいけないのだね。
「生きて帰れない? ここは法治国家日本だぜ」「そんな幻想、あなた信じてるの」「いや、だから戻るんだ」「何をするつもり」「受刑者が刑務所でやることっつたら一つだろ」
「――あーおかあさんというものは、物質化するしかなくっ、キノコか猫の糞の固めたのか、雀に着物を着せたようなものか、あわれで、ごちごちして、わけのわからんものなりー。」 発達しはじめた母はなんでもありで、生ぬるい物事には警告を発してくれるわけのわからんお母さんであった。けっこう笑える。
「誰が、誰のことを話しているのか。間違いの先に間違いが継がれていく行き方が、枝分かれし、もつれ、錯綜し、増殖し、別の間違いの株が生まれていることがわかっていないから、とってつけたような因果関係が語られるのだ。」思考が働きつづけるかぎり夢の中に閉じ込められているような錯覚におちいる、それに気付いてもどうにもならず似たもの同士が出会い擬似家族になる。阿部和重の「インディヴィジュアル・プロジェクション」に似ていると思った。でも「目覚めよと人魚は歌う」のほうが幻想的ですね。
ほのぼのオフィスマンガ。サラリーマンの常識の非常識さをあますところなくギャグにしていて面白い。淡々と話が展開してぜんぜん感情移入できないことで客観的にサラリーマンの生態を観察できる。
なかなか面白い。最初のほうは死体とか殺人シーンが凝ってたけど、後のほうになるとただの殺し合いみたいになっててちょっと物足りない感じですね。これも時代の反映ですかね。ちょっと大友克洋のAKIRAに似ている気がするけど、表現の仕方はさまざまですね。まだ完結してないので続きに期待します。
「とにかく僕はファンタジーを提供したいんですよ。やっぱりこういうものはファンタジーじゃなきゃダメですよ、生活臭とか出ちゃあ。難しいところですよね(笑)。」
一貫して「書くのは嫌だ、書くのは嫌だ」と書きまくっている雑文集。でも文章はなかなか面白い。あと対談も面白い。
「文章を書くのはイヤだけど、表現自体は好きです。文章というのは読む人のことを想定したくなるわけでしょう。そのわりに読者にどれぐらいの知識があるのかわからない。(・・・)自分の文章なんて誰も読んでないと思うしかないですね。」
10年にわたりその時々で文章・音・映像の表現領域に存在した人物をサンプリングしまくった評論集。最後のほうになるとちょっとお腹いっぱいって感じだった。「さまざまな「趣味」を抱えた個人が、自分の「居場所」を探すことは、昔にくらべて、明らかに容易になってきた。しかし、それぞれの「居場所」が、誰にとっても、けっして唯一無二のものでないこと、そして、それぞれの「居場所」の外には、他の数多の「居場所」がひしめき合っており、要するにそれを「世界」と呼ぶのだ、という、これまた当たり前のことを、ひとは時に見失ってしまう。」
最近は買わなくなってしまったダ・ヴィンチという雑誌に連載されていたもの。(今も連載してんのかな?)読者のエッセイに古屋兎丸の4コママンガがついている。
エッセイ自体がけっこう妄想っぽいんですが、さらに4コマが追い討ちをかけて脱線する。日常と想像力の世界ですね。
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